新宿/店舗案内/CD・レコードの販売・買取/ディスクユニオン新宿クラシック館

カテゴリー「猫丸しりいず」の記事一覧

★猫丸しりいず第140回

●猫丸しりいず第140回

◎レスピーギ:風変わりな店、ブラジルの印象、ローマの松

 アルチェオ・ガリエラ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(英MEDICI ARTS MM022-2  ※EMI音源)

ba57c5ab.jpeg

 クラシック音楽に長年親しまれているリスナーの方は「ガリエラ」という名前の指揮者の演奏に必ずや接した事があるのではないか。しかし、それはあくまでも「協奏曲の伴奏指揮者」として・・・。ガリエラとはどういう指揮者なのか、と問われて即答出来る方は相当なマニアであろう。今回は「皆が知っているけど、一体誰なのかは誰も?知らない」という、まるで「月光仮面のおぢさん」的な名指揮者、アルチェオ・ガリエラ(1910~1996)がテーマ。

この人はEMIやPHILIPS等のレーベルに、1950~60年代を中心に大量の録音を遺している。しかし、今日でも親しまれている録音と言えば、リパッティ、アラウ、オイストラフ、シュナーベル、ヘブラー等々の大物ソリストと共演した協奏曲の音源か、マリア・カラスの「セビリャの理髪師」位なもの。私はグリュミオーと共演したベートーヴェンの協奏曲を長年愛聴していて、「こんな素晴らしい演奏をする指揮者なのに、彼が主役の録音は無いのだろうか」とずっと疑問に感じていた。

その疑問を払拭するかのように登場したのが、今回ご紹介の盤。EMI音源をライセンス使用したもの。1955~1959年にかけての録音である。謎に包まれていたこの指揮者のプロフィールが、この盤のライナーによって(自分には)初めて明らかになった。彼はミラノに音楽家の息子として生まれ、若くして頭角を現し、1941年に指揮者デビュー。第2次大戦で辛酸をなめるも、戦後の1945年のルツェルン音楽祭で大成功をおさめ、その後の活躍ぶりがEMIコロムビアのプロデューサーのレッグの目にとまり、フィルハーモニア管と多くの録音を行なう・・という中々輝かしい経歴の持ち主である。

実際、彼は今回ご紹介のレスピーギの作品集の他にも、「ロメオとジュリエット(チャイコフスキー)」「死と変容」「カルメン組曲」「ダフニスとクロエ第2組曲」等々の録音をフィルハーモニア管と遺しており、颯爽とした「ロメオ」を筆頭に、この人の有能ぶりを実感させる名演が多い。しかし、長寿を全うしたにもかかわらず、不思議な事に1970年代に入るとガリエラは音楽界の表舞台に立つ事も録音もパッタリと無くなり、今や「伴奏指揮者」としてのみ記憶されているという可哀想な存在となってしまった。

この盤、私がレスピーギの作品の中で最も好きな「風変わりな店」がメインになっているのが実に嬉しい。あのディアギレフのロシア・バレエ団のために書かれた作品で、先輩ロッシーニの「老いの過ち」を素材にした楽曲だ(「パリの喜び」と同様の発想の接続曲なので、レスピーギの「作品」という表現は誤解を招くかもしれないが)。重厚な響きのものが多いレスピーギの作品の中では、珍しく軽快でカラッと乾いた趣きの「風変わりな店」。この曲にガリエラの歯切れよく爽快な表現はとても相性が良く、楽しく聴ける。「ローマの松」も余計なハッタリが無く、アッサリとした表現ながら物足りなさは無く、後味爽やかな好演だ。

あまり出しゃばらず、スッキリとしていながら物足りなさが無い・・というガリエラの持ち味が、彼を大物ソリストたちの共演指揮者として重宝がられる存在としたのだろう。それにしても1970年代以降の彼のキャリアの途絶ぶりは謎の一言。彼が主役の録音がモノラルからステレオへの移行期に集中している事も災いしてか、この名指揮者の真価を堪能出来る機会が全く失われてしまっているのは残念だ。「新世界交響曲」やベートーヴェン、ボロディン、モーツァルトの交響曲等の録音も遺しているようだが、今や全く「幻の音源」と化してしまっている。是非これらを集大成してCD化し、この名匠の再評価に繋げてもらいたいのだが・・ 実現は望み薄か?・・・

 

★猫丸しりいず第139回

●猫丸しりいず第139回
 
◎シューベルト:冬の旅
 
 ヘルマン・プライ(Br) カール・エンゲル(P)
(海外EMI 0878902)
ccc69ec0.jpeg
 「季節」が素材になったり、タイトルになったり・・・というクラシック音楽の名作は数多い。
 
それらの名作のほとんどは、その作品の舞台となっている季節以外に聴いてもあまり違和感無く、「普通」の名曲として楽しめる。「春の祭典」や「アパラチアの春」を、別に夏や秋に聴いたって何の「問題」も感じない。でも中には、「この曲はこの季節に聴かないとどうも・・」と感じてしまう名曲もある。
 
シューベルトの傑作「冬の旅」。あらゆるクラシックの名曲の中でも、この曲ほど「冷やし中華」「そうめん」「すいか」等々が似合わない作品も無いのではないか。そういう「夏を感ずる要素」だとか「明るい陽光」みたいなものを一切寄せ付けないような、冷え冷えとした感触がこの作品には漂っている。
 
周知のように、この曲は失恋した若者が寒風吹く冬の夜にあてども無い旅に出かける・・という情景から始まる。失恋と冬と夜と旅・・・というのは洋の東西を問わず「お約束」の組み合わせであるようで、ドイツ版森昌子か石川さゆり的ワールドという趣きである。全くの余談だが、昔「あずさ2号」という歌が大ヒットした時、作詞した竜真知子さんがインタビューで「失恋の旅に朝8時発の列車で出かけるという発想は新鮮ですね」と訊かれて、「いや、実は私『あずさ2号』って夜の8時に出る列車と勘違いしてたんです」と笑撃の告白をされてた事が妙に記憶に残っている。やはり朝はラジオ体操には似合っても、傷心の旅の出発にはしっくり来ないようだ。
 
この曲は全体が異様な暗さと虚無感に満ちていて、それが「春の賑わい」「夏の陽光」「秋の充実感」といった要素を徹底的に排除してしまう。「菩提樹」のような美しい曲もあるが、それも「厳冬の曇天の中から微かに漏れてくる日差し」のような感触である。この曲を書いた頃、シューベルトは体調にも恵まれず、おカネも無く、加えて敬愛していたベートーヴェンの死も彼に大きな打撃を与える事となった。自身の死について考えていたであろう彼が、この「冬の旅」の詩に大きな共感を持ち、自身を投影させながら作曲したであろう事は想像に難くない。この作品は多大な表現意欲を掻き立てるらしく、膨大な録音があり、一人で何回も録音している名歌手も多い。今回ご紹介の盤のプライもその一人。1961年
、彼が30歳過ぎたばかりという若き日の録音である。あくまでも私の趣味だが、この曲にはあまりに「ウマすぎる」歌唱はそぐわない。「百戦錬磨の訳知り顔のオッサン」みたいな巧妙すぎる歌は、この曲の世界と何か合わない気がする。
 
その点この盤は適度に若者の青臭さが出ていて、昔廉価LPで出ていた時代から親しんでいる名演。また、この曲は伴奏ピアノの役割が非常に重要で、冒頭の「おやすみ」のピアノがヘナチョコだと「あちゃ~」という気分になって主役の歌手が出てくる前に一気に聴く気が萎えてしまうが、名匠エンゲルがさすがの名伴奏ぶり。超廉価で入手可能なのが嬉しいおススメ盤だ。
 
日本国内で「冬の旅」が最も似合うのは、ズバリ青森だと思う。それも津軽が最高だ。日本海の荒波が押し寄せる深浦海岸、あまりの突風に積もった雪も吹き飛ばされてしまう竜飛岬・・。厳冬の時期の津軽であの空恐ろしい「辻音楽師」を聴けば、心の底から「冬の旅」気分に浸れると思うが、果たして実現出来る日はあるか・・・

diskunion 新宿クラシック 津軽海峡猫景色
 
 

★猫丸しりいず第138回

●猫丸しりいず第138回

◎ショーソン:交響曲変ロ長調、詩曲

 シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 オイストラフ(Vn)
(国内BMG/RCA BVCC7924 廃盤)

71ff8f80.jpeg

本来「エコ」な乗り物として歓迎される存在であるべき「自転車」。しかし、最近はどうも「厄介者」扱いされているように思う。

事実私も傍若無人な運転の自転車にぶつけられそうになり、危ない思いをした事が二度や三度では無い。昔はそれほど危ない思いをする事は無かったように思うのだが、これだけ急激に社会問題化しているのは、短期間に自転車に乗る人のマナーが急速に劣化した事が要因なのだろう(残念な事だが)。携帯電話を眺めながらの運転なんて、全く論外である。

自転車の事故を侮ってはいけない。命にかかわる事もあるのだ。「自転車」と言えば、どうしても連想してしまう作曲家がエルネスト・ショーソン(1855~1899)。彼は不幸にも自転車事故により、44歳の若さで命を落とした人(不慮の事故という点で、前回のグラナドスと「双璧」である)。クラシック音楽の作曲家と「自転車」という組み合わせ自体が、何だか微妙な「違和感」を感じさせるのだが、実際、自転車は非常に歴史の浅い乗り物で、現在の自転車の原型が生まれたのはようやく19世紀末の事であり、それからまだ100年ちょっとしか経っていないのである。

ショーソンは、はじめは両親の意向で法律家を目指したが、音楽への想いを捨てられず24歳でパリ音楽院に入学したという経歴の持ち主。30歳代半ばから続々と傑作を生み出し、さあこれから円熟期・・・と思われた1899年、彼は別荘のある村で自転車に乗っている時、道の途中の柱に激突して即死、という何とも痛ましい最期を遂げてしまう。ただ、衝突の瞬間を目撃した人が誰もいなかった事から、彼の死に関しては「下り坂で運転を誤った事故」という見方がある一方、「自殺だったのでは」という説もあり、大きなミステリーを残す事となった。当時は前述のように現在の自転車の原型が出来て間もない頃であり、ブレーキ等の「安全装置」がまだ不十分だった事は想像出来る。

唐突な死によって断ち切られてしまった彼のキャリアだが、その短い創作期にまさに「ショーソン的」としか形容しようのない素晴らしい作品を遺してくれた事に、我々後世の聴き手は感謝しなければならないだろう。彼の作品には確かにフランクの影響は感じられるが、ワーグナーに心酔した人だけあって、師匠フランクよりも「浮世離れ度」が低く、良い意味で非常に「生臭い」のである。例えば「交響曲」の終楽章。崇高な感情と現世的な欲望がせめぎ合うようなこういうスゴイ曲を一体他に誰が書けると言うのだろう。「詩曲」とか「愛と海の詩」を聴いても、基調はリリカルでありながら、ところどころに「チョイ悪」的なアブナサが顔を出す・・・という趣き。この人が「老年」になるまで音楽を書き続
ける事が出来たなら、一体どんな作品が生み出されたのだろうか?

彼の「交響曲」の名盤と言えばミュンシュ&ボストン。とにかく豪快でスケールの大きい演奏だが、「豪放すぎる」と感じられる方も当然いらっしゃるかと思う。もっと「フランス的」な名盤をという方にはアンセルメ、ジョルダンの演奏を。この曲の「隠れ名盤」は、名匠マルク・スーストロがロワール・フィルを指揮した盤。マイナーレーベルから出た事もあり、ほとんど知られる事も無く現在も入手困難な音源だが、これがなかなかスバラシイ。何とか復活出来ないものか・・・

 

★猫丸しりいず第137回

●猫丸しりいず第137回
 
◎グラナドス:歌劇「ゴイェスカス」間奏曲、スペイン舞曲集(抜粋) 他
 
イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 スペイン放送交響楽団
(国内PHILIPS UCCP3401)
 
8e673599.jpeg
人の一生は、様々な偶然の積み重ねである。
 
生まれた場所、時代、家庭環境、人や仕事との出会い・・・。それぞれがどう組み合わされていくかによって、その人の人生はガラリと変わってしまう事もある。それらの事象一つ一つは「偶然」に左右される事がほとんどで、「最初からそのように運命づけられてました」的な「運命論」には私はあまり与したくない。
 
が、「偶然の積み重ね」が取り返しのつかない結果をもたらす事もある。それをしみじみと感じさせるのが、近代スペインの代表的作曲家エンリケ・グラナドス(1867~1916)の不運としか言いようの無い最期。
 
バルセロナを本拠に作曲家、ピアニストとして大活躍した彼は、同じスペイン出身の画家ゴヤの絵画に心酔していた。ゴヤの絵に霊感を受けて作曲された名作ピアノ曲「ゴイェスカス(ゴヤ風の作品という意)」を素材に生まれたのが歌劇「ゴイェスカス」。彼はもともとこの歌劇をパリで上演する意向であったが、折悪しく第1次世界大戦が勃発し計画が頓挫。
そこに「ウチで初演しませんか?」と声を掛けてきたのがニューヨークのメトロポリタン歌劇場。旅嫌いで知られた彼だが、この時ばかりは、はるばる大西洋を渡ってニューヨークへ。その甲斐あったか初演は大成功。当時のアメリカ大統領ウィルソンに「ピアノの演奏会をやってくれ」と招かれた程であった。一国の大統領直々の要請に意気に感じたのか、グラナドスは既に決まっていた帰国予定を変更してリヴァプール経由のフランス商船「サセックス」で帰国する事に。
 
これが運命の分かれ道であった。
 
彼の乗った「サセックス」は英仏海峡でドイツ海軍の魚雷攻撃を受け沈没。不幸にも彼はまだまだこれから・・という48歳の若さで不慮の死を遂げる結果となってしまった。もしも「ゴイェスカス」が予定通りパリで初演されていたら、初演の場所がアメリカで無かったら、ウィルソン大統領がコンサートの要請をしなかったら、そして何よりも第1次大戦という時代のさなかで無かったら・・・  我々後世の聴き手は更に多くのグラナドスの傑作を耳にし得たかも知れない、と思うと残念でならない。それにしても、今この時の判断、選択が自分の一生を左右するかもしれない・・と考えれば考えるほど、何やらオソロシイではありませんか。
 
今回ご紹介の一枚は、鬼才マルケヴィッチによる「スペインモノ集成」アルバム。20世紀を代表する天才指揮者でありながら、B級オケとの仕事が多かったというのが実にマニア心をくすぐるこの人。晩年に来日して久々に日本フィルに客演し、横浜で演奏した「春の祭典」を私はナマで聴く機会に恵まれたが、あのオーラ漂う指揮姿と演奏の素晴らしさには生涯忘れられないであろう感銘を受けた。この「スペイン名曲集」は前半にラヴェル、シャブリエの作品、後半にグラナドス、アルベニス、ファリャの「近代スペイン御三家」の作品が収録されている(グラナドスの「スペイン舞曲集」はスペイン作曲界の後輩、エルネスト・アルフテルによる編曲版)。続けて聴くと分かるが、フランスの巨匠2人による作品が
あくまでも「フランス人の目」というフィルターを通して「洗練」されたスペインという感じなのに対し、スペインの作曲家たちによる作品群はもっとスペインの「大地の風」「土の匂い」みたいなものが感じられる。その対照が実に面白い。中でも「スペイン舞曲集」は、アルフテルのアレンジも、この盤の演奏も良い意味で実に田舎臭いのが素晴らしい。洗練された小奇麗なレストランでなく、地元民御用達の一見薄汚い屋台で飛び切りウマいものに出会った時のような心地良さが味わえる逸品!
 

★猫丸しりいず第136回

●猫丸しりいず第136回
 
◎ヤナーチェク:グラゴル・ミサ
 
 サー・チャールズ・マッケラス指揮  デンマーク国立放送交響楽団&合唱団 他
 (英CHANDOS    CHAN9310 ※原典版による初録音)
 サー・チャールズ・マッケラス指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 他
 (国内DENON/SUPRAPHON COCO70412)
 
ffeccb74.gif70b8d3d2.jpeg
「超個性派大作曲家」の真打ちはアナタしかいません! レオシュ・ヤナーチェク!
まさに唯一無二と思えるこの人の音楽のユニークさをコトバで語るのは本当に難しい。
 
初めて接した彼の作品は、高校生の時に聴いた「グラゴル・ミサ」。とにかく衝撃的だった。そのヘンテコな跳躍の多い旋律、独特のオーケストレーション・・・。その後「シンフォニエッタ」「タラス・ブーリバ」等々の名作を聴き進んでいったのだが、その度に衝撃度は強まるばかり。オーケストラという同じ演奏形態を用いながら、コトバに例えれば「全く別の言語」を聴くような「心地良い違和感」みたいなものに私はすっかりハマってしまった。こういう感覚にハマった事は、他に中学生の時に聴いた友川かずき(秋田弁丸出しのフォークシンガー)の歌くらいしか、思い浮かばない。
 
ヤナーチェクの音楽には「構築」という感覚がほとんど感じられない。何と言えば良いのか、平原に立っていたら地面のあちこちからピョコピョコと芽が出てきて、「アレ?何だコレ? どうしたんだ?」と戸惑っているうち、気が付いたら周りは一面の花畑になっておりました・・・という風情のあの作風。彼の音楽に対し、「形式を重視する西洋の伝統的な求心的な楽式に対抗する『遠心的』とも言えるような楽曲構成」という文を読んだ事があるが、非常に当たっていると思う。
 
「面白い曲を書く作曲家は面白い奴に決まっている」という芥川也寸志氏の名言があるが、ヤナーチェクという男も相当にユニークな人物だったようだ。直情型で、思った事をすぐ口に出してしまうタイプだったらしく、若い頃初めての子供(女の子)が誕生した時、期待していた男児でなかったので「な~んだ、女か」的な態度になってしまい、激怒した奥さんが実家に2年も引きこもってしまった、とか、自作の初演に立ち会った際にその演奏が気に入らず、
演奏が終わるや否や壇上に駆け上がって「皆さん!これは私の作品なんかじゃありません!」と聴衆に大演説を始めたり・・等々の珍エピソードには事欠かない。
 
極め付けは晩年に40歳近くも年下の人妻に恋をして600通(!)以上もの手紙を送り、最後はその女性の子供が迷子になった時に、雨の中を周りが止めるのも聞かずに探しに出かけた挙句、肺炎に罹って死んでしまったという凄い話。もっとも、この位のパワーの持ち主で無ければ晩年に続々と傑作を生み出すという事も出来なかったであろう。この怪人に感謝しなくっちゃ・・・。
 
さて、ヤナーチェクの作品の普及に多大な功績を遺したのが巨匠マッケラス。アメリカ生まれ、オーストラリア育ちのこの指揮者が東欧の作曲家のエキスパートというのは一見奇異な感じだが、実はこの人はチェコの巨匠ターリヒの弟子。ウィーン・フィルと組んでDECCAに次々と録音された一連のヤナーチェクの作品集の存在無くして、この作曲家が今日のようにグローバルな存在になったとは思えない。手間と経費がかかるけど、それが回収出来る保証も無いような地味な作品をどんどん録音出来たのは、当時まだレコード会社にそこまでの「余裕」があったという事か。
 
彼の振る「グラゴル・ミサ」をあえて今回2種ご紹介。チェコ・フィルとの盤は一般的な版によるスタンダードな名演だが、ユニークなのはシャンドス盤。「原典版による初録音」と謳っており、この曲を熟知した方なら通常の版との違いに気付かれるだろうが、何と言っても度肝を抜かれるのは通常は終曲の「イントラーダ」がいきなり曲の冒頭に登場する事。初めて聴いた時は「編集ミスか?」と焦ってしまった。この「原典版」、終曲にも「イントラーダ」が登場するので、都合2回の「イントラーダ」でミサを挟み込むような形態になっており、当初はシンメトリー的形態を目論んでいたらしい事が伺える。ヤナーチェク好きならこの珍バージョンはお聴き逃しの無いように・・・
 
「クラシック音楽界の秋田・山形弁」と言いたいヤナーチェクのユニークすぎる作品群は、これからも私の「オトモダチ」であり続けるであろう。
 

Check !!

Entrance




Topics



About


diskunion Link








 



















Calendar

07 2019/08 09
S M T W T F S
1
4 5 6 7 10
11 14
20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

Search

カウンター

Copyright © diskunion Shinjuku Classic-Kan All Rights Reserved