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カテゴリー「猫丸しりいず」の記事一覧

★猫丸しりいず第135回

●猫丸しりいず第135回
 
◎ヴィラロボス:ショーロ第2、3、10、12番他
 ジョン・ネシリング指揮 サンパウロ交響楽団
(BIS CD1520)
 
◎ヴィラロボス:ショーロ第11番
 ゴトーニ(P)  サカリ・オラモ指揮 フィンランド放送交響楽団
(フィンランド/オンディーヌ ODE916-2)
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 前回のミヨーに続く「超個性派3大巨匠」の第2号。それはアナタです!!
ブラジルの巨人、エイトール・ヴィラロボス(1887~1959)。
 
この人は凄い。音楽自体に比類の無い個性が溢れているのはもちろんだが、これ程までに「形式」に捕らわれずに自由奔放に作品を書きまくった大作曲家というのも、空前にして恐らく絶後じゃないだろうか。彼の代表作である全9曲の「ブラジル風バッハ」にしても、大オーケストラのための作品から、ソプラノとチェロ合奏、フルートとファゴット等々それぞれがてんでバラバラな形態で、そこには「揃える」なんて意識はハナから無いようだ。しかも、そんな「バラバラ」な各曲が、それぞれにブラジルの民俗音楽をバッハ風に変奏させたり、対位法的に処理したり・・というコンセプトにおいてはキチンと一貫しているのには本当に感心してしまう。
 
その「奔放」加減を更に全開にさせたのが「ショーロ」。「ショーロ」とはセレナードの事らしいが、クラシックギターの名曲として有名な5分程の小品「第1番」から、ピアノと大オーケストラのための1時間以上かかる大作「第11番」まで、規模も編成も全くバラバラな作品を「連作」として書いてしまうところがこの人の真骨頂。オマケにその1曲1曲があまりにユニークすぎである。
 
例えば、男声合唱と管楽アンサンブルのための「第3番」。「ピカ・パウ(きつつき)」という副題がついているが、この奇想天外な音楽の魅力を文章で綴るのは少なくとも私の能力では困難なので、興味のある方は是非ご一聴を・・・。一度聴いたら忘れられないブッ飛び傑作です。お次は「愛情の破れ」という何だかディープな副題のついた「第10番」。混声合唱とオーケストラのための作品。咆哮するオケと合唱が実に「高温多湿な熱帯雨林」っぽい大音響を奏でる。あまりの暑苦しさがかえって快感を呼び起こす大怪作(モーツァルトあたりの音楽と比べると、体感温度の差は30℃はあると思われる)。ピアノを交えた大管弦楽が、「起承転結」なんて考えてませんとばかりに1時間以上も果てる事なくブラジル
っぽい音楽を奏で続ける「第11番」も実にこの人らしい。
 
この「ショーロ」にはこのところ優れた録音が増えてきた。リーパー指揮のグラン・カナリア・フィルのASV盤も名盤だが、作曲者のお膝元ブラジルのオケを起用したBIS盤が現状№1か。このネシリング&サンパウロ響のコンビは、お国もの以外にもベートーヴェンの交響曲等で予想外の名演を聴かせ、マニアの話題をさらっていたのだが、ネシリングの辞任によって後が続かなかったのは誠に残念。それにしても、優れたオケがあれば東南アジアでもアフリカでも南米でも乗り込んで行くBISの積極姿勢は誠にアッパレ。一方、アマゾンの密林とは対極と思える北欧の指揮者、オケにより最もディープな「11番」の名演盤が生み出されたのも実に愉快。この盤、ジャケも最高。ヴィラロボスの入門盤として知られる名盤、
カポロンゴ指揮パリ管の「ブラジル風バッハ」(EMI)を彷彿させる「鳥ジャケ」の傑作である。
 
さて次回は「超個性派巨匠」の真打ち、3人目。まさに誰にもマネの出来ないヘンテコな傑作を多数遺した東欧の作曲家・・・と言えば、また誰だかバレてしまったような・・・・・

 

★猫丸しりいず第134回

●猫丸しりいず第134回
 
◎ミヨー:世界の創造
 
 ヴァーツラフ・ノイマン指揮 プラハ交響楽団
(国内DENON/SUPRAPHON COCO73195)
 
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クラシック音楽界には、その余りに個性的な音づくりが「ナントカ系」みたいな「分類」を許さない、相撲で言えば「一代年寄」的な存在の大作曲家が存在する。その中でも私が「三大巨頭」と位置付けるメンバーを今回から順次ご紹介。
 
 第1号はダリウス・ミヨー(1892~1974)。彼の音楽との初めての出会いは中学生の時、
FMで流れていた「屋根の上の牛」。「クラシック音楽って、ざっとこんなもんだ」とわかったようなつもりになっていた私の固定観念を根底から破壊するパワーと彩りに満ちたその曲に、私は頭をブン殴られたような衝撃を受け、曲が終わるや否やチャリンコをカッ飛ばして、当時自宅に一番近いクラシックレコード店だったダイエーの碑文谷店に急行。ハアハア言いながらバーンスタイン指揮のEMI盤を購入。この時の事は、30年以上経った今でも鮮明に覚えている。多調、復調を用いた不可思議な響きを持ち、楽しげなのにどこか哀調を帯びたミヨーの作品は、まさに(正しい意味で)「オンリーワン」の魅力に溢れている。
 
彼の代表作の一つが、ニューヨーク・ハーレムで聴いたジャズに大きな影響を受けて生み出された「世界の創造」。1923年の作品・・・という事は、あの「ラプソディ・イン・ブルー」より1年先輩という事だ。天地創造の物語を素材に、20人足らずの小編成で演奏されるこの名曲。奏者の技量やセンスが白日のもとに晒されてしまう中々の難曲である。
 
前述のバーンスタイン盤の他、ミュンシュやレーグナー等の名演もあるが、ここは矢張りヘソ曲がりの猫丸ゆえ、大穴盤をご紹介する事としたい。それが1962年録音のノイマン盤。ノイマン(1920~1995)は生前NHK響に何度も客演し、私も彼のステージには多く接した。端正でハッタリの無いこの名匠の芸風とガーシュウィンやミヨーの作品が全く結びつかず、「こりゃ珍盤だ」という興味本位で入手したこの一枚。良い意味での大誤算。実にジャジーな感覚に溢れた名演奏なのだ。
 
中でも素晴らしいのが「第4部」の冒頭の長いクラリネット・ソロ(10分34秒~)。軽くヴィブラートのかかった東欧の奏者らしい音色も良いのだが、演奏の「スイング感」がまさに絶妙。思わず拍手したくなる快演なのである。この盤、カップリングのガーシュウィンの「キューバ序曲」(この曲も私の超愛好曲)も実に「はじけた」名演奏で、驚きの連続。国内初CD化・・との事だが、よくぞこの音源を・・・と企画の方に感謝を捧げたい逸品である。
 
作品番号にして何と400以上・・という多作家の彼。その膨大な作品群は玉石混交という感は否めないが、それにしても日本で親しまれている彼の作品はそれらのホンの「一つまみ」という状況なのは惜しい。まさに奇想天外&シュール系怪作「男とその欲望」や、乗り物好きには見逃せない「青列車(ル・トラン・ブルー)」、「6つの小交響曲」等々、この人ならではのユニークな傑作がまだまだあるだけに残念だ。
そう言えば、以前「猫丸」で採り上げた旧約聖書がネタのコラボ楽曲「創世記」にも彼は参加しているが、その手の「コラボ系」「委嘱系」と分類可能な作品がミヨーには多い。
そういうイヴェントが好きな男だったのか、はたまた「頼む」と言われると引き受けてしまう性格だったのか・・・。これまたミヨーらしい。
 
さて、次回は超個性派3大巨頭の第2号。ミヨーにも所縁の深いラテンの国の出身で、 彼と同じく多作家で・・・と言うと、アッと、もうばれちゃったかな? それが誰だか・・・
あとは次回をお待ち下され。

 

 

★猫丸しりいず第133回

●猫丸しりいず第133回
 
◎サンサーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ
 アルテュール・グリュミオー(Vn)
 マニュエル・ロザンタール指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団
(国内DECCA UCCD9819/限定盤)
 
◎~序奏(プロローグ)~ TSUKEMEN
(日本音声保存 ANOC6152)
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 最近はクラシック畑の若手演奏家が、純クラシック以外のジャンルで活動するケースをいろいろ見かける。ただ、そこには様々な「壁」もあるようだ。今回はその一例として、ヴァイオリン2+ピアノの男性3人グループ「TSUKEMEN(ツケメン)」をとり上げたい。
 
音大出身の彼ら、PAを使った人工的な音響でなく、あくまでも楽器の「生音」にこだわったスタイルで幅広いジャンルの音楽を演奏し、普段あまりクラシック音楽と縁の無い女性層を中心にジワジワと支持を広げ、今やコンサートチケットがなかなか取りづらい程の人気を博しているらしい。今回ご紹介のアルバムは、彼らのメジャーデビュー前の最初のアルバム。オリジナル曲や編曲ものがミックスされた内容だ。
 
ヴァイオリン2+ピアノという編成は、音域が極端に高域に偏っているので、かなり工夫をしないと非常に腰高な不安定な響きになる危険がある。この「序奏」には「ハンガリー舞曲第5番」「死の舞踏」等のクラシック作品をアレンジしたものが収められているが、過度な「高音域偏重」に陥る事を巧妙に避けたうまいアレンジになっていて、とても耳によく馴染む(ちなみに「死の舞踏」のアレンジャーは吹奏楽畑では有名な長生淳。さすがと思える仕事ぶり)。ただ、心地良く聴ける反面「これではヴァイオリン2人で演奏する必然性は稀薄なのでは?」と思うのも事実。
 
実は彼らはこの後も何点かのアルバムを出しているのだが、最近出た新作アルバムを聴いてみて、彼らが冒頭に触れた「壁」に直面している感じを持った。
 「楽器の生音にこだわる」という彼らの基本コンセプトと、実際の彼らの演奏や楽曲のアレンジがうまく融合・・と言うか着地点を見い出せておらず、どんどん乖離を広げているように感じられたのである。「ヴァイオリンが2人いる意味」をムリに強調するような音作りになっていて、結果見事に高音偏重となり、腰の座らない響きになってしまっている。「3人のアンサンブル」は本来演奏者同志の協調、バランス感覚が最も必要な難しさを持っているのだが、あまりにメンバー各人が自己主張をしすぎていて、私の耳には正直かなり「騒々しい」という印象を残した。
 
クラシック音楽作品は「形式の権化」のようでいて、実は結構柔軟性がある。例えば「弦楽四重奏」という形態をベースにピアノを加えた「ピアノ五重奏曲」、ヴィオラを1人補強した「弦楽五重奏曲」(モーツァルト)、はたまたヴァイオリンを1人抜いて代わりにコントラバスを入れた「変形五重奏」とも言うべきシューベルトの「鱒」等々、作曲家の求めた響きに合わせて様々な「パーツの脱着」があって、それぞれが見事な効果をあげている。
 
TSUKEMENの3人も「いつ何時でもこの3人で一緒に演奏する」という点にこだわりすぎず、ある時はヴァイオリン1+ピアノ1、ある時はチェロのエキストラを加えて4人・・みたいに編成に柔軟性を持たせてみてはどうだろうか。「3人」に拘泥し続けると、その編成の持つ限界や弱点が彼らの「足かせ」になり続けるのでは・・と感ずる。老婆心ながら・・・。
 
そしてもう一つ提案。せっかくクラシック畑の出身なのだから、ステージに1曲でも「アレンジもの」で無い純クラシックの作品をとりあげてはどうか。ファン層が普段クラシックに縁遠い人々であれば尚更。「啓蒙」なんていう「上から目線」的なものでなく、「彼らが弾くなら聴いてみよう」というファンたちに「こんな素敵な曲もあるんですよ」とさりげなく紹介出来るような曲を。
 
 そこで登場の一曲が、数あるヴァイオリンの小品の中で私の最も好きな「序奏とロンド・カプリチオーソ」(別に彼らのアルバム名にかけた訳では無いが)。名手サラサーテのために書かれたこの傑作、時間も10分弱と程よく、小粋で魅力的なメロディを持ち、起承転結も鮮やかで、技巧的な「見せ場」もバッチリ。この演奏効果抜群の名作などは、ステージにかけるには最適と思うが。そして、数多いこの曲の音源の中でも不動の№1がグリュミオー&ロザンタールの名演。没後四半世紀たった今なお、日本のリスナーの圧倒的支持を得ているこの稀代の名手。私も彼の大ファンだが、これほど高い品格を保ちながら「粋だねえ」と声を掛けたくなる小気味良い演奏を聴かせるヴァイオリニストはもう現れないのでは
ないか。ロザンタールのバックも最高で、このコンビによるラロの「スペイン交響曲」と並び、自分にとって「もう他の演奏を聴く気がしなくなる」級の超名演である。
 
クラシックの楽器を用いながら、伝統的なクラシック音楽で無い世界で身を立てるのは、普通にクラシック音楽を演奏し続けるより、ある意味ではもっと難しい。中途半端に「商品」として消費されて終わりにならないように。彼らの真の勝負はこれからである。

 

 

★猫丸しりいず第132回

●猫丸しりいず第132回
 
◎エシュパイ:合奏協奏曲、ピアノ協奏曲第2番
 
 エフゲーニ・スヴェトラーノフ指揮 ソビエト国立交響楽団
(米ALBANY TROY341)
 
◎エシュパイ:サークル(環)~2幕のバレエ
 
 エミン・ハチャトゥリャン指揮 ソビエト放送交響楽団
(米ALBANY TROY425/ジャケット写真)
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 自他ともに許す珍作、怪作好きの私が、中でも「怪曲の花園」と愛でてやまないのが旧ソ連の作曲家たちの作品群である。言うまでも無く、ソ連という国は体制側の芸術家への締め付けが非常に厳しく、幾多の芸術家たちが辛酸を舐めた。そんな国からこれ程様々なブッ飛んだ作品が多々生まれ出たのは妙ではあるが、実にロシア人らしいと言えばそれまでか。
 
体制ベッタリの大B級怪作、フレンニコフの交響曲なんかは「まああの頃のソ連ならこの位は・・」と思える範囲内。しかし、途中でいきなりクール・ジャズが乱入!のシチェドリンの「ピアノ協奏曲第2番」は当時の西側の作曲家ですら、ここまで吹っ切れた珍曲は書けなかったのではと呆れるばかりである。
 
そして、驚異の「ブッ飛び度」を誇り?、一部に熱狂的ファンを持つ作曲家が今回登場のアンドレイ・エシュパイ(1925~)。彼の作品の中でも「特選」の爆笑作3作をご紹介。
「合奏協奏曲」はトランペット、ピアノ、ヴィブラフォン、コントラバスと管弦楽のための協奏曲。このヘンテコな独奏楽器の組み合わせが暗示するように、ジャズをとりいれた作品。とにかく最初からハイテンションでジャズ的音響が爆走。スヴェトラ大先生ならではのヤケッパチ気味の猛演も手伝って、聴き手はただただ呆気にとられ「何じゃコリャー!」と叫んでいるうちに終了・・という感じの作品。「痛快」の一言で、とにかくゴキゲンな曲なのだが、ジャズ・ファンの方に聴かせたらどんな反応が返って来るか興味津々でもある。
この録音、コントラバスを以前「猫丸」でご紹介した怪人ロディオン・アザルヒンが担当しているのも実にポイント高い。
 
「ピアノ協奏曲第2番」もジャズ風の作品で、作曲者自身のピアノが聴ける(1972年の初演時のライヴ)。もともとモスクワ音楽院でピアノを習った(師匠はソフロニツキー)人だけに、中々達者な腕前。
 
しかし、これで驚いてはまだ甘い。まさに「この人でなければこんなの書けないよ」と呆れさせる大怪作が約70分の大曲、「サークル」。
この曲には、「繁栄と享楽に満ちていた王国が外敵の攻撃で滅ぼされ、数少ない生き残った人々が再興に立ち上がる」的な一応の筋書きがあるようだが、この曲の破壊力はそんな筋書きなどどうでも良くなってしまう程の凄まじさ。
曲が始まってすぐ、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」の引用が現れて度肝を抜かれ、続いてフルートによるバロック風の音楽が登場したかと思えば、お次はポール・モーリアかと思わせるイージー・リスニング風の曲が乱入・・・と、この辺で正常(笑)なクラシック・ファンの方々は「もうついていけん」と匙を投げられる事請け合いである。
 
その後もB級映画音楽風味の「外敵の侵略」の場面をはじめ、思わずのけぞる数々の音楽が脈絡無く展開される。この盤の指揮者は同姓の大作曲家の甥っ子だそうだが、オーケストラ共々何の恥ずかしげもためらいも無く大熱演を展開してくれ、誠にアッパレ。初期のシュールホフやジョリヴェ等々の「ハチャメチャ系」楽曲が好きな貴方には是非おススメである。ご紹介の2点を含む「エシュパイ・エディション」を出しているのが、アメリカの珍曲大好きレーベルALBANYというのも興味深いが、このレーベルのスタッフの琴線にもエシュパイは大いに触れたようでまさにご同慶の至り。
 芸術が一つの国家事業であったソ連では、「採算」なんぞ度外視で無数と言って良い作品が録音されたらしいが、今日入手可能な音源はその一部に過ぎない。是非マニア間で「幻の名作(迷作?)」と名高い、ガヂエフの「交響曲第4番」やクニッペルの「交響曲第4番」、アミーロフの「アラビアン・ナイト」あたりが容易に入手できる日が来てほしい・・と切実に思う今日この頃。

 

 

★猫丸しりいず第131回

●猫丸しりいず第131回
 
◎モーツァルト:音楽の冗談
 
 オトマール・スウィトナー指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
(独BERLINCLASSICS BC300137)
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とかく日本人は「苦手」と言われる事の多いユーモア。
 
「ユーモアのセンス」というのは「学習」や「訓練」で身に着くものでは無いだけになかなか厄介だ。ユーモアは咄嗟(とっさ)に出るかどうかが勝負なので、頭の回転の速い人でないと厳しいし、頭の中に「引き出し」が沢山ないと当意即妙な一言がパッと出てくるとは思えない。では、私が特に好きな「ユーモア発言」を二つご紹介。それはいずれも政治家の口から発せられたもの。どちらも当人が窮地に陥った際に発せられた一言で、こんな局面でこういう一言が出せるような器の大きい?人になりたい、とつい思ってしまう傑作である。
 
その一。1981年にアメリカのレーガン大統領(当時)が狙撃され九死に一生を得た大事件があったが、弾丸の摘出手術の前に彼が執刀医たちに対して飛ばしたジョーク、「ところで君たちは全員共和党員だろうね」。それに対して執刀医が発した「大統領、ご心配無く。今日一日は我々は全員共和党員なので」という返答も気が利いている(実際は、執刀医は民主党員だったというオチまであって完璧である)。当時高校生だった私は、このやりとりを新聞記事で知った時思わず吹き出してしまい、それまで「タカ派」のイメージが強烈でどうも親しめなかったレーガンさんに急に親近感が湧いたのを思い出す。
 
そのニは、往年の日本の大物政治家の三木武吉(1884~1956)が、演説会で政敵に「三木は愛人を4人も囲っている」と攻撃された際、何食わぬ顔で「訂正します。正しくは5人であります」とやり返し、聴衆の大爆笑と大拍手を呼んだというエピソード。他にも彼には「家賃を2年以上滞納している」と追及されたら「いや、3年以上滞納している。間違いは正しておかないとイカン」と答弁したとかの爆笑エピソードが目白押し(「政界の大狸」の異名をとった怪人だったらしい)。こういう豪傑、と言うか「大物」の政治家が居なくなったのはクレンペラーやクナッパーツブッシュのような変人マエストロがもう見当たらないクラシック音楽界と同様、時代の流れなのだろうか。
 
音楽の世界でも、(パロディものは別として)曲の発想そのものにユーモアが感じられる作品はいろいろある。それらはおおよそ、曲全体をユーモラスな発想で構築した「知能犯」型の曲と、一見普通のたたずまいの楽曲にギャグ的フレーズをはめ込んだ「唐突型」の曲に分別する事が出来るように思う。以前この「猫丸」でネタにしたヒンデミットの大怪作「朝7時に湯治場の二流楽団によって初見で演奏されたさまよえるオランダ人序曲」や、フレンチカンカンを超スローテンポで弾かせる「動物の謝肉祭」の『亀』などは「知能犯」型の代表例と思われる。
 
一方、結果的に「唐突型」の代表選手になってしまった・・と思えるのはご存じモーツァルトの「音楽の冗談」。下手糞な演奏家や作曲家たちを揶揄した・・とも言われるこの曲。モーツァルトという男は冗談好きであったらしく、下ネタ、尾籠ネタも含めてしょっちゅうしょうもないギャグを飛ばしている奴だったそうだ。ただ、そんな愉快な男の作品としては、「音楽の冗談」はちょっと「不完全燃焼」なんじゃないかという気が私にはしてならない。と言うのは、この曲、基本的な造りが今の聴き手の耳にはマトモに過ぎて、時折挿入される「ギャグ的」楽句がちょっと唐突すぎるように思えるのだ。
 
モーツァルトは彼なりに、わざと楽章や楽器編成のバランスを崩したり、通常の古典派音楽のスタイルから外れた技法を用いたりして、滑稽さを演出しようと努力、工夫をしているのだが、その後のロマン派~近現代の「何でもアリ」の音響世界に慣れた耳には、その程度の「アンバランス感」は最早奇異に感じられなくなってしまった上、モーツァルトという天才のフィルターを通した事で、全体が皮肉にもキチンと整ったモーツァルトらしい作品に仕上がって「しまった」結果、誰の耳にもわかりやすいギャグ的な箇所(音外しとか)がことさら目立つ結果となったのだろう。「知能犯的ユーモア楽曲」を目指したものの、天才すぎた彼には凡才の再現は難しかったのか・・。ご紹介のスウィトナー盤は、実に端
正な名演奏で、オケの響きも最高に美しい。しかし、その美点が「冗談度」をさらに薄めているのも確か。これを「名演」と言ってよいのかどうか・・。ウ~~ン、混乱♪
 
 最後に一言。
「どんな無能な作曲家でも、こんなバカな事やらんだろう」という手法を徹底した結果生まれた名曲ラヴェルの「ボレロ」。この曲なんぞは「知能犯型冗談楽曲」の極致と思われるのですが、如何で御座いましょうか?
 

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