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カテゴリー「猫丸しりいず」の記事一覧

★猫丸しりいず第130回

●猫丸しりいず第130回
 
◎マーラー:交響曲第2番「復活」
 
 山田一雄指揮 京都市交響楽団 京都市立芸術大学音楽学部合唱団 他
 (国内タワーレコード/ビクター NCS593~4)
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 「5分間」という時間を皆様はどうお感じか?
 
無論「どのような状況下における5分間か」によって感じ方は大きく異なるだろうから、簡単に言い切る事は出来ないのだろうが、私の実感としては5分間は「意外に長い」という印象である。
 
例えば列車を乗り換える際に「乗り換え時間は5分」と言われると、非常にタイトな印象を受けてしまうのだが、実際には東京駅のような超巨大な駅でない限り、5分間有れば悠然と乗り換える事が出来る(もちろんスケジュール通り列車が運行されていればの話だが)。実際私も息せき切って乗り換え列車に乗車したら、まだ発車まで3分もあり、しかもその3分が結構長い・・・という経験を一度ならずしてきた。
 
そう言えば、今や「国際食」となったカップ麺に関しても、熱湯を入れてから食べられるまでの時間設定に関しては、技術的には「5分」にも「10分」にも出来るそうだが、セッカチな日本人には「5分」は長すぎる・・という事で、現在一般的になっている「3分間」になったのだ、という話をどこかで聞いた事もある(事実、他のアジア諸国では「4分間」とか「5分間」というパターンも存在する)。「5分間待つ」という事は、結構辛抱が必要な事柄らしい。
 
マーラーの交響曲第2番。「復活」という愛称でポピュラーなこの曲には、第1楽章の終了後に「最低5分間の休憩をとるように」というマーラー自身の指示がある。この指示にマーラーが込めた真意が何だったのかを私は知らない。渾身の演奏を20分以上要求される第1楽章を演奏した後、さらに1時間も演奏しなければならない大曲なので、「ここで長めの休憩を入れないとオケの連中がヘトヘトになっちゃうよな・・」というマーラーの「現場的&実用的指示」なのか、あるいは「第2楽章以降は別の曲と思って、新たな気持ちで取り組んで欲しい」という「芸術的観点から生じた指示」なのか・・・。
その辺はともかく、「作曲者の指示は絶対」という立場に立つならば、このマーラーの指示は墨守されるべき・・なのだろうが、実際のところはどうなのだろうか。
 
私はこの曲の公演に数回接する機会があったのだが、その際の印象を総合すると、このマーラーの指示は「意識はされているが、実態的には無視されている」という感じである。なぜかと言えば、前述のようにやはり5分間という時間は長すぎるからであろう。実際、ほとんどの指揮者はそんな指示など知りませんぞと言わんばかりに、ごく普通のタイミングで第2楽章に入っていった。そんな中で明らかに「5分間」を意識してるなコリャと思わせたのが若杉弘。私は何回も若杉さんのステージに接して、その度にこの名指揮者の「独自のこだわり」に大いに感服していたので、その時は明らかに「長めの休憩」を意識していると思われる彼に向かって「ガンバレ若杉! 休め!5分間!」と心の中で叫び続けたのだが(
大バカですね)、残念ながら5分もたずに撃沈(笑)。この時の休憩は実質2分間足らずだったのだが、それでも相当に長く感じられたのは事実。
 
この「5分間」に関しては、この間に合唱と独唱者を入場させて時間稼ぎ(笑)したり、あるいは「休憩用」の椅子をわざわざ指揮台の傍に用意させ、そこに指揮者がドッカリ座って休んだり・・・等々、いろんな現象が報告されている。ただ、私自身としては、作曲者の考えは尊重すべしとは思うものの、あまりにその「指示」に拘泥しずぎる事はかえって滑稽な結果を招くのでは・・というのが率直な感想だ。生前のマーラーは売れっ子指揮者であったので、彼の具体的且つ細かすぎる指示は「演奏の現場」から生まれたものではあるのだろうが、マーラーが指揮者として活躍した当時と現代では、オーケストラの技術も、聴衆や演奏家の「時間感覚」も全く同じではない筈だ。私は、頑張って5分間の休憩をとる
(妙な言い回しだが・・)より、第1楽章の余韻がまだ残っているうちに自然な形で第2楽章に入ってもらった方が、いろんな雑念、邪念が入らず素直に感動出来るのだけど、皆様(特にマーラー好きの方)はどのようにお感じですか?
 
さて、今や山ほど録音がある「復活」の録音ではあるが、自分にとってやはり外せないのはヤマカズ先生のライヴ盤。この「猫丸」の第84回で既に採り上げた通り、私の音楽人生に決定的な影響を及ぼしたのが山田一雄。 まだマーラーの作品が全く一般的でなかった時代から彼の作品を積極的に演奏し、この「2番」や「8番」の日本初演を行なったのがヤマカズさん。この盤は1981年のライヴだが、まさに渾身の名演奏。もっと技術的に上手い、優れた録音の盤はいくらでもあるけれど、演奏者たちの「魂の燃焼」がこんなにも伝わってくる演奏を私は他に知らない。聴き終わってまさに「5分間」は何もする気が起きない程の凄演。ご一聴をおススメしたい。

 
 

★猫丸しりいず第129回

●猫丸しりいず第129回
 
◎シューベルト:即興曲D.899
 
 エリーザベト・レオンスカヤ(P)
(国内TELDEC WPCS21133)
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昨年9月に出版した「猫丸しりいず」の単行本の中のコラムで触れた事だが、クラシック音楽をゆっくり聴ける意外な穴場が実は「飛行機の中」である。
 
飛行機に頻繁に乗る方ならご存知だろうが、長いフライト時間の無聊を慰めるために航空会社は映画、オーディオ等々の様々な機内エンタテインメントを用意しており、近年の充実ぶりは(航空会社によって差はあるが)中々のもの。中には中東ドバイのエミレーツ航空のように、クラシックの名曲多数(数えた事は無いが、200曲位はあるのでは)をいつでもオンデマンドで聴ける・・という凄い会社もある程だ。
 
古今東西の名曲の中、私が飛行機の中でついセレクトしてしまう作品がある。それがシューベルトの「即興曲D.899」。眼下にゆっくりと流れる雲海を眺めながらこの曲を聴いていると、これが実に心に沁みて、「日常」から離れた空の旅にピッタリなのだ。夕焼けに染まる地平線を見ながら「第3番」とかを聴くと、本当に感動してしまう。
 
シューベルトの作品には、「今日はちょっとシューベルトって気分じゃないんだよね」と思っていても、聴き始めるとたちまち体に馴染んでしまう・・という不思議な力がある。交響曲でもピアノ曲でもミサ曲でもそうで、こういう作曲家は他になかなか居ない。日頃のドタバタした繁忙から離れてボ~ッとしていられる機上の時間を過ごすにはまさに好適。そういえば機内で聴く曲目に、例えばブルックナーの「5番」「8番」のような聴く際にかなりのハイテンションを要求される曲をセレクトする事は無いなあ・・。
 
この「D.899」、ピアノ曲としての技巧的難易度はそれ程高くないらしく、「第2番」などは小学生のピアノの発表会の定番となっているのだそうだ。実際私も聴いた事があるけれど、大人顔負けの上手な演奏をする子も少なくない。しかし・・・。この「即興曲」、本当に奥が深い。単に技巧的に達者なだけの演奏を聴いても面白くもなんともないのである。
なぜなのだろうか?
 
彼の作品のもう一つの特色として、「表情の急変」があげられる。D.899の「2番」「4番」や「未完成交響曲」等には、夢見るような美しい表情で進んでいた曲の中に「突然暗闇になって悪魔乱入」といった趣きの、実に「コワイ」部分が突然現れる箇所がある。しかもその「一瞬の黒雲」が過ぎ去った後、何事も無かったかのように元の優しい表情に戻ったりするのだ。歌を歌いながら、途中の特定の歌詞のところだけ瞬時に表情を変えなくてはならない・・・みたいなもので、こういう事には奏者の音楽的センスや「豊富な人生経験」がストレートに反映されやすい。器用に弾きこなすだけなら子供にも可能な「D.899」だが、
この曲の「陽」の部分と「翳」の部分のコントラストを絶妙に描いて聴き手を唸らせるのは並大抵の事では無いようだ。
 
この曲にはルプーをはじめ数多くの名盤がある。今回ご紹介のレオンスカヤの盤も(単に安いので買ってしまったのだが)なかなか良い。グルジアのトビリシ出身のこの名女流、その実績の割に日本では今一つ地味な存在という印象だが、ゆったり目のテンポで弾かれるこの演奏、滋味深い名演で非常にコストパフォーマンスの高い1枚だ。
 
実は私が「一緒に飲みたい大作曲家ベスト1」に挙げたいのがシューベルトだ。短い人生の間に、心地良さと美しさと恐ろしさが同時進行するような凄い作品を数多く遺した彼は、一体どんな心境でこういう曲を生み出したのだろうか。新橋当たりの焼き鳥屋で一杯やりながら訊いてみたい。
「シューベルトさん。貴方は本当はどういう男だったんですか?」
 

★猫丸しりいず第128回

●猫丸しりいず第128回
 
◎バルトーク:交響詩「コシュート」、管弦楽のための協奏曲
 
イヴァン・フィッシャー指揮 ブダペスト祝祭管弦楽団
(蘭PHILIPS 4767255)
 
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今思うに、私が最初に接した「ゲンダイオンガク」はバルトークだった気がする。
 
バルトークの音楽は21世紀の今日では最早立派な古典であって、今や「現代」音楽という位置付けはされないだろうが、30年以上前はまだ新ウィーン楽派と同格位には「現代音楽」っぽい捉えられ方をされていたように思う。それは当時バルトークがまさに「コンテンポラリー」な作曲家だった時代から活躍していた作曲家や演奏家がまだまだ現役バリバリだった事も関連していたのだろう。
 
実際私もクラシック聴き始めの高校生の頃、作曲家の柴田南雄氏の著作に多く接したからか早くからバルトークの作品に興味を持った(柴田さんのバルトーク論やマーラー論は今読んでも本当に面白い)のだが、まず聴いた作品が「弦・打・チェレスタ」「ピアノ協奏曲第1番、第2番(当時ポリーニ&アバドの新録音が大変な話題となっていた)」「弦楽四重奏曲」等々の作品。まさに「硬派バルトーク」と言えるハードボイルドな作品ばかりで、「凄い作品だけど、気軽に楽しめるって感じの曲じゃないな」というのがバルトークに対する第一印象だった。
 
だから、その後「管弦楽のための協奏曲」を初めて聴いた時には、「エッ!?この人がこんな華麗で聴きやすい曲を書いていたのか?」と本当に驚いた。聴いた盤がまさに華麗な演奏のカラヤン盤(EMI)だった事もその印象を強くしたと思う。この名作が生まれた背景を後で知った私が非常に複雑な感慨を覚えた事も非常に記憶に残っている。
 
有名な話だが、この曲はアメリカに移住後すっかり創作意欲を喪失し、経済的にも困窮に陥っていたバルトークに何とか救いの手を差し伸べようと同郷のライナー、シゲティらが当時のボストン響の音楽監督クーセヴィツキーに働きかけた結果生まれた、クーセヴィツキー財団からの委嘱作である。当時鬱状態にまで陥っていたバルトークがわずか2か月で、こんな傑作を書き上げたのはまさに驚異。カラフルで親しみやすい曲ながら、第3楽章の胸が締め付けられるような嘆き節には当時のバルトークの心情が吐露されているようで、誠に感慨深い。
 
もう1曲「驚愕」モノのバルトーク作品が「コシュート」。この曲を何の予備知識も無しに聴いて作曲者を当てられる人が一体何人いるだろうか。このフィッシャー盤は「コシュート」が最後に収められているが、もしこれがアルバムの最初に入っていたら、「アレ?盤を間違えたか?」と仰天する人も多いのでは。ハンガリーの革命家コシュートを題材としたこの作品、一言で言って「なんちゃってリヒャルト・シュトラウス」という趣きで、バルトークの作品らしいストイックな感じがカケラも無いのには思わず笑ってしまうほど(シュトラウスの「マクベス」あたりに非常に近いノリの作品である)。
 
それもその筈で、この曲は彼がまだ21歳の時にシュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」に大きな衝撃を受けて、その影響下で生まれた作品との事。彼がコダーイと出会ってハンガリー各地の民俗音楽の収集を始め、自己のスタイルの確立をスタートさせるのは、この約5年後の事であり、この「コシュート」はバルトークのほんの駆け出しの頃の作品という訳であった。今でこそ「この人も若い頃はこんな曲書いてたんだねえ」という存在の「コシュート」。しかし、事の運びによってはバルトークはこの「コシュート路線」のまま、「R・シュトラウスの亜流のB級作曲家」で終わっていたかもしれない・・・と考えると、人の一生ってホントにわからないな、と思ってしまう。
 
今回ご紹介の盤のフィッシャー&ブダペスト祝祭管は、その高レベルの仕事ぶりに比べ、日本ではイマイチ人気が無いように思われる。ハンガリーの指揮者、オケによるバルトークと言えば、地元フンガロトンによる鄙びた演奏が頭に浮かぶ。あれはあれで捨て難い味わいがあったのだが、国際的水準のオケで「本場物」の演奏が聴けるようになった意義は非常に大きく、このコンビによるバルトークやコダーイはスタンダードな名盤としてオススメ!
 
diskunion新宿クラシック 怪傑猫猫丸
 

★猫丸しりいず第127回

●猫丸しりいず第127回

◎セーヴェルー:「ペールギュント」組曲第1番&第2番、交響曲第6番「哀しみ」他
 
 アレクサンドル・ドミトリエフ指揮 スタヴァンゲル交響楽団
(BIS CD762)
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 以前この「猫丸」で既に述べたが、「北欧のクラシック音楽」はグリーグ、シベリウス、ニールセンという3巨頭にあまりに人気、関心が集中しすぎていて、それ以外の作曲家の数多い魅力的な作品が日の目を見ていないのがあまりに惜しい。
 
 今回のテーマはノルウェーの作曲家、ハラール・セーヴェルー(1897~1992)。グリーグと同じベルゲン出身で、9曲の交響曲や多数のピアノ曲、管弦楽曲等を遺し、1992年に死去すると何と葬儀が国葬で行なわれた(音楽家としては何と大先輩のグリーグ以来の事であったらしい)。それほどまでにノルウェー国民から敬愛された大物であるにもかかわらず、彼の作品は(少なくとも日本では)全然と言って良い程知られていない。
 
彼がこれほどノルウェー国民から敬愛されたのは、第2次大戦中この国がナチス・ドイツに占領された際、その事への怒りと抵抗を音楽によって示し、国民を大いに鼓舞したからであろう。「抵抗のバラード」や5番から7番までの3つの交響曲がそれらの作品。ご紹介のBIS盤に収録されている「6番」は、ナチスに蹂躙される祖国への嘆きと共に、侵略に決して屈しない強靭な意志をも感じさせる非常に印象深い作品だ。
 
彼の音楽は決して聴きづらいものでは無く、モダンさと素朴な感じ、コワモテと飄々とした感じがない交ぜになったようなそのユニークな作品には独特の魅力がある。
セーヴェルーに初めて接する方におススメしたいのが、「ペールギュント」。言うまでも無く、イプセンとグリーグというノルウェーの2人の大先輩による大名作が既に存在した中、セーヴェルーは全く新たな視点からこの作品に挑む事となる(1948年の作品)。
 
グリーグの名作に関しては、イプセンの作品に付けた音楽としてはあまりにロマンティックでは?という批判もあったようで、もっとイプセンの原作のノリに近い「人間臭いペール」が作れないか?という観点から生まれたのが、このセーヴェルー版の「ペールギュント」との事。聴いてみるとこれが本当に面白い。「美男美女のスターが活躍する映画」みたいなグリーグ版に比べ、セーヴェルー版はもっと素朴で土臭く、「民話的」な色彩。その飄々とした味わいや音楽運び、独特なオーケストレーションは実に面白く「ゲゲゲの鬼太郎 ノルウェー版」みたいな味わいがある。「よりノルウェー的」という観点から見ると、むしろグリーグの作品より優れているのでは・・と思える程だ。
 
セーヴェルーの管弦楽作品は、BISからこの盤を含め数枚のシリーズが出ている。北海油田の基地として知られるノルウェーの「石油の街」スタヴァンゲルのオーケストラも好演で、おススメだ。北欧音楽や近現代の管弦楽曲が好きな方、是非「もう一つのペール」をご賞味あれ!まだまだ知られざる傑作が目白押しの北欧音楽。次は誰を登場させようかな・・・

 diskunion新宿クラシック お~い猫丸
 

★猫丸しりいず第126回


●猫丸しりいず第126回
 
◎小林亜星/アニメ・トラック・アンソロジー
 
 西六郷少年合唱団、大山のぶ代、前川陽子、野沢雅子、堀江美都子 他
 (国内テイチク TECD-25488)
 
◎ストラヴィンスキー:春の祭典
 マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ボストン交響楽団
(国内DG UCCG5083)
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前回、渡辺浦人・岳夫親子をとりあげた際、自分の「音楽体験の原点」に如何に昔のアニメ・ソングが深くかかわっていたか、を我ながら再認識してしまった。そこで、今回はもう一人の「元祖アニソンの巨匠」小林亜星をテーマとしたい。
 
 亜星さんは俳優、タレントとしても大活躍したが、そのあまりの多芸ぶりがかえって作曲家としてのこの人の凄腕に目を向ける機会を奪っているような気がするのは皮肉だ。亜星さんの凄い所は単に「名メロディメーカー」というだけでなく、あらゆるスタイルの音楽を果敢に自作に取り入れて消化し、素晴らしい作品に仕立てた・・という点。間違いなく「天才」と呼んでいい作曲家である。
 
今思えば私は「ひみつのアッコちゃん」から「ワルツ」を、「魔法使いサリー」から「ディキシーランド」を、「親ゆびトム」から「ジャズ」を最初に「学んだ」のだった。他にもマンボ、ルンバ、ブギウギ、チャチャチャなど実に様々な音楽を駆使した色とりどりの作品群をまとめて聴くと、この人の多才ぶりに驚嘆されられる。
 
私が亜星さんの最高傑作と確信するのが、ご紹介の盤の冒頭に入っている「狼少年ケン」。
この曲は様々な形にアレンジされて親しまれているので、若い世代でもご存じの方が多いと思うが、私に音楽における「リズム」とか「ダイナミズム」というモノを最初に叩き込んでくれた名曲である。
猛烈なパーカッションの連打が血を沸騰させるような興奮を巻き起こすが、それをベースに歌われるメロディは実に流麗で爽やかで、その対比が素晴らしいスピード感を生み出す・・・という、まさに離れ業というか「天才の仕事」としか表現しようのない名作だ。この曲に合わせて流れるオープニングの映像の疾走感がまた素晴らしかった(今でもYouTubeで見る事が出来るので、興味のある方はどうぞ)。「いつも元気に雄々しく、強いオイラはくじけない」という歌詞も大好きだったなあ・・・。ちなみにこのCDに収められた音源は、テレビとは別テイクでテンポが若干遅く、猛スピードのテレビ版に比べやや疾走感が弱いのがわずかながら惜しい。
 
その後「ガイーヌ」とか「カルミナ・ブラーナ」とかのリズムを前面に押し出したクラシック作品を初めて聴いた時の興奮は、全て自分の中では「ケン」が原点になっている。そして、その系列の作品で外す事の出来ないのはやっぱり「春の祭典」だろう。
私は「火の鳥」「ペトルーシュカ」を先に聴いていて、自分の中でストラヴィンスキーってこういう曲を書く人・・というイメージが既に固まっていた。加えて「春の祭典」なんていうタイトルだったものだから、私は例えばドビュッシーの「管弦楽のための映像」みたいなカラフルでホンワカした曲をイメージしてこの曲に最初に臨んだので、実際に曲を聴いた時には大変な衝撃を受けてしまった。
 
思うにこの曲の「春の祭典」という邦題は結構「超訳」っぽい。英語のrite、仏語のsacreというタイトルは、それぞれ「儀式」とか「奉献」という意味合いが強くて確かに曲の内容を正確に表してはいるのだが、「春の奉献」というタイトルはさすがにイケてない。 「祭典」というコトバを充てた人はそれはそれで中々素晴らしいと思う。ともあれ私はこの名作に熱中し、銀座のヤマハでブージー&ホークスの高価なフルスコアまで買ってしまった程であった。
 
星の数ほど録音のあるこの曲には名盤も多く、どれを代表選手にするかには本当に迷った。この曲の凄さを教えてくれたマルケヴィッチ&フィルハーモニア(EMI)や高校生の時に発売されてまさに一世を風靡したデイヴィス&コンセルトへボウ(PHILIPS)、爆笑の大怪演マゼール&ウィーン・フィル(DECCA)等の盤にも大いに惹かれつつ、結局最も「狼少年ケン」的な名盤として若き日のM・T・トーマスの録音をご紹介する事とした。
 
この盤、1972年というこの指揮者のキャリアの最初期の録音の一つだが、とにかく彼のドはずれた天才ぶりを見せつける大傑作。この上なく「野蛮」でありながら同時に「流麗で爽やかでスピーディで後味抜群」というこの演奏の特色は、まさに「狼少年ケン」とピッタリ重なるではないか。同時期に彼の録音したオルフ、ガーシュウィン等のアルバムは、いずれもリズムの切れやスピード感が素晴らしく、今聴いても全く色褪せ感の無い名盤ばかり!
 
それにしても1960~70年代のアニメとその音楽に関しては、まだまだ語りだすとキリが無い。いっそ「裏・猫丸しりいず」でも立ち上げてみましょうか(笑)。
 
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