★猫丸しりいず第133回

●猫丸しりいず第133回
 
◎サンサーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ
 アルテュール・グリュミオー(Vn)
 マニュエル・ロザンタール指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団
(国内DECCA UCCD9819/限定盤)
 
◎~序奏(プロローグ)~ TSUKEMEN
(日本音声保存 ANOC6152)
20ee0ea3.jpeg45c14624.jpeg
 最近はクラシック畑の若手演奏家が、純クラシック以外のジャンルで活動するケースをいろいろ見かける。ただ、そこには様々な「壁」もあるようだ。今回はその一例として、ヴァイオリン2+ピアノの男性3人グループ「TSUKEMEN(ツケメン)」をとり上げたい。
 
音大出身の彼ら、PAを使った人工的な音響でなく、あくまでも楽器の「生音」にこだわったスタイルで幅広いジャンルの音楽を演奏し、普段あまりクラシック音楽と縁の無い女性層を中心にジワジワと支持を広げ、今やコンサートチケットがなかなか取りづらい程の人気を博しているらしい。今回ご紹介のアルバムは、彼らのメジャーデビュー前の最初のアルバム。オリジナル曲や編曲ものがミックスされた内容だ。
 
ヴァイオリン2+ピアノという編成は、音域が極端に高域に偏っているので、かなり工夫をしないと非常に腰高な不安定な響きになる危険がある。この「序奏」には「ハンガリー舞曲第5番」「死の舞踏」等のクラシック作品をアレンジしたものが収められているが、過度な「高音域偏重」に陥る事を巧妙に避けたうまいアレンジになっていて、とても耳によく馴染む(ちなみに「死の舞踏」のアレンジャーは吹奏楽畑では有名な長生淳。さすがと思える仕事ぶり)。ただ、心地良く聴ける反面「これではヴァイオリン2人で演奏する必然性は稀薄なのでは?」と思うのも事実。
 
実は彼らはこの後も何点かのアルバムを出しているのだが、最近出た新作アルバムを聴いてみて、彼らが冒頭に触れた「壁」に直面している感じを持った。
 「楽器の生音にこだわる」という彼らの基本コンセプトと、実際の彼らの演奏や楽曲のアレンジがうまく融合・・と言うか着地点を見い出せておらず、どんどん乖離を広げているように感じられたのである。「ヴァイオリンが2人いる意味」をムリに強調するような音作りになっていて、結果見事に高音偏重となり、腰の座らない響きになってしまっている。「3人のアンサンブル」は本来演奏者同志の協調、バランス感覚が最も必要な難しさを持っているのだが、あまりにメンバー各人が自己主張をしすぎていて、私の耳には正直かなり「騒々しい」という印象を残した。
 
クラシック音楽作品は「形式の権化」のようでいて、実は結構柔軟性がある。例えば「弦楽四重奏」という形態をベースにピアノを加えた「ピアノ五重奏曲」、ヴィオラを1人補強した「弦楽五重奏曲」(モーツァルト)、はたまたヴァイオリンを1人抜いて代わりにコントラバスを入れた「変形五重奏」とも言うべきシューベルトの「鱒」等々、作曲家の求めた響きに合わせて様々な「パーツの脱着」があって、それぞれが見事な効果をあげている。
 
TSUKEMENの3人も「いつ何時でもこの3人で一緒に演奏する」という点にこだわりすぎず、ある時はヴァイオリン1+ピアノ1、ある時はチェロのエキストラを加えて4人・・みたいに編成に柔軟性を持たせてみてはどうだろうか。「3人」に拘泥し続けると、その編成の持つ限界や弱点が彼らの「足かせ」になり続けるのでは・・と感ずる。老婆心ながら・・・。
 
そしてもう一つ提案。せっかくクラシック畑の出身なのだから、ステージに1曲でも「アレンジもの」で無い純クラシックの作品をとりあげてはどうか。ファン層が普段クラシックに縁遠い人々であれば尚更。「啓蒙」なんていう「上から目線」的なものでなく、「彼らが弾くなら聴いてみよう」というファンたちに「こんな素敵な曲もあるんですよ」とさりげなく紹介出来るような曲を。
 
 そこで登場の一曲が、数あるヴァイオリンの小品の中で私の最も好きな「序奏とロンド・カプリチオーソ」(別に彼らのアルバム名にかけた訳では無いが)。名手サラサーテのために書かれたこの傑作、時間も10分弱と程よく、小粋で魅力的なメロディを持ち、起承転結も鮮やかで、技巧的な「見せ場」もバッチリ。この演奏効果抜群の名作などは、ステージにかけるには最適と思うが。そして、数多いこの曲の音源の中でも不動の№1がグリュミオー&ロザンタールの名演。没後四半世紀たった今なお、日本のリスナーの圧倒的支持を得ているこの稀代の名手。私も彼の大ファンだが、これほど高い品格を保ちながら「粋だねえ」と声を掛けたくなる小気味良い演奏を聴かせるヴァイオリニストはもう現れないのでは
ないか。ロザンタールのバックも最高で、このコンビによるラロの「スペイン交響曲」と並び、自分にとって「もう他の演奏を聴く気がしなくなる」級の超名演である。
 
クラシックの楽器を用いながら、伝統的なクラシック音楽で無い世界で身を立てるのは、普通にクラシック音楽を演奏し続けるより、ある意味ではもっと難しい。中途半端に「商品」として消費されて終わりにならないように。彼らの真の勝負はこれからである。

 

 

Entrance







Classical Broadcasting for YouTube



Topics





About


 

diskunion Link








 

















Calendar

06 2017/07 08
S M T W T F S
2 3
11
16 19 20
24 25 26 27 28 29
30 31

Search

カウンター

Copyright © diskunion Shinjuku Classic-Kan All Rights Reserved