猫丸しりいず第108回

   
   
   

レスピーギ:交響詩「ローマの祭」
 
小澤征爾指揮 ボストン交響楽団
(国内DG F28G22028/旧規格)
CDが登場したのは、私が大学生の頃の事。
 
CDを最初に手にした時まず便利だなあと感じたのは、音質の良さ、操作の簡便さもさることながら「長い曲を続けて聴ける」という点である。アナログLPの片面当たりの収録時間は30分弱が限度で(音質の劣化を無視すれば40分近くまで詰め込む事も可能ではあったが)、それ以上の長さの曲、例えばR・シュトラウスの「アルプス交響曲」「家庭交響曲」「英雄の生涯」「ドン・キホーテ」等々は、どうしても途中での中断を余儀なくされた。そういった曲が本来の姿の通り、中断無しに「通し」で聴けるようになった事は誠に画期的だった。
 
昔の作曲家が「LPの収録時間」を念頭に作曲していた筈も無いので、レコード時代には他にも色んな問題が発生していた。例えばベートーヴェンの「英雄」。
この曲は前半の第1~第2楽章が非常に長い。30分以上かかるこの2つの楽章を音質劣化を覚悟でムリヤリ片面に収録するか、または第2楽章を途中で分断して後半からをB面に移すか・・。非常に「レコード製作者泣かせ」であったこの曲には、「怪演」ならぬ「爆笑の怪盤」も登場した。私の記憶に誤りが無ければ、日本でもお馴染みの英国の名指揮者ジェイムズ・ロッホランがハレ管を指揮したレコードだったと思うが、何とA面に第4、第1楽章、B面に第2、第3楽章を収録した驚きの盤。恐るべき発想の産物で実に合理的ではあったのだが、これでは全曲を聴くのに2回も盤をひっくり返さなければならず、さすがに定着はしなかった。
 
CDの登場で、最早「過去のもの」になったと思っていた「曲中の中断」。ところがその名残に思いがけず遭遇してしまったのが、今回のネタの小澤の「ローマの祭」のCD。
 
この曲は4つの部分から成るが、第2部の「五十年祭」の最後に鐘の響きを伴ったホルンのファンファーレが響き、続いてティンパニの一打と共に第3部の「十月祭」に移るようになっている。この部分は通常切れ目なく演奏され、しかも第3部のアタマもホルンのファンファーレ的な楽想になっているため、いつもはこの部分が「切れ目」である事を意識する事すら無い。
 
ところがこの小澤盤、「五十年祭」の終わりのホルンが延々と伸ばされてフェード・アウト気味に消えた後、かなりの間を置いて第3部に繋がるようになっている。なぜ音楽の流れが完全に分断されてしまうような不自然な形になっているのか、それがとても不思議であった。ところが、この録音のオリジナルのLPを見た時にその謎は解けた。レコードでは、ちょうどこの「祭」の第2部と第3部の境目でA面からB面に移るようになっていたのである。確かに「ローマ三部作」全部を1枚のレコードに収めようとしたら、3曲のいずれかを分断する他無い。そんな理由で止むを得ず生じた「切れ目」なのであろうが、CD化するに当たってもう少し自然な形に編集出来なかったのか。そもそも小澤本人は、こういう形でCD化される事を承知していたのか、不思議でならない。
 
小澤征爾という指揮者は膨大な量の録音を残してはいるが、私にとって彼の録音は、平均点は高くて悪くはないんだけれど、「この曲はゼッタイ小澤で無ければ」というインパクトに決定的に欠けているという印象がどうしても拭えず、正直言えば私は小澤の熱心な聴き手では無い。そんな中でこの「ローマの祭」は「チルチェンセス」における群衆の獰猛な興奮ぶりや、「主顕祭」の民衆の陽気な騒ぎっぷりが眼前に迫るような鮮やかな名演奏で、小澤&ボストンのベスト録音と言って良い素晴らしい出来。それだけに尚更、この不自然な「切れ目」が残念でならないのだ。

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